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事業への想い (よりストレートな気持ちと裏事情)

  • 執筆者の写真: 木村和正
    木村和正
  • 1月21日
  • 読了時間: 4分

ウォーキン『四季のさと』でジャイアントステップ(仮称)についての想い


■ 概要(想い)


今回の事業は、近畿日本鉄道(以下「近鉄」)の協力を得て、地元として「四季のさと」を最大限に活かし、地域のカンフル剤にしようというものです。


もちろん相手のある話なので、すべてはこれからの協議次第です。ただ、提案者としては次のような想いを持っています。


• 誘客して「お金を落としてもらう」ことが目的ではない

• 近鉄にとってもメリットがある企画にする(そうでなければ乗ってこない)

• 志摩スペイン村とは異なる、近鉄の“懐の深さ”を示すような企画にできれば地元としても嬉しい



■ これまでの歩みと今回の企画の位置づけ


上ノ村環境保全プロジェクト(KKP)の活動は、良くも悪くも、管理人(=私)が構想を練り、実行してきた部分が大きいと思っています。


初代代表から「私が責任を取るから、やりたいようにやってみて」と言われたことに男気を感じ(実際は女性でしたが)、それまでに培ってきた感性・問題意識・企画力を惜しみなく投入してきました。


途中で代表に「どこに行こうとしているのか見えない」と言われたこともありましたが、制度の趣旨を外した活動には資金を使っていないこと、そして制度の先取りをしている自負もあり、


「バラバラに見えるかもしれないが、いずれ収束して理解してもらえるはず。私欲を排した“私という人格”が中核にありますから。」


と生意気なことを言った覚えがあります。

その言葉に恥じないよう、常に自分の中の核を意識しながら構想を練ってきました。

時には後付けの理屈もありましたが、それでもその都度コンセプトとして言語化し、自分の指針にしてきました。

だからこそ、一貫した筋はずっと存在していると感じています。


■ 「四季のさと」との縁と、今回の企画に至る流れ


今回の「ウォーキン『四季のさと』でジャイアントステップ」(仮称)は、これまでの活動の集大成として位置づけています。


振り返ると、「四季のさと」との縁は大学時代に遡ります。


• 帰省したときに「四季のさと」ができていて感動した

• 同時に「近鉄主導であっても、地元も活用しない手はない」と感じた

• その後も東京暮らしの中で帰省のたびに覗いたが、特に変化はなかった

• 郷里に戻り、近鉄沿線を巻き込んだフリーマーケットを企画し、三重大の教授に代表をお願いした

• 直後に自治会長から多面活動組織(KKP)の話があり、事務局を担当することになり、フリマ企画は一旦断念

• その後は「地域活性化」というより「地域の生き残りをかけた戦い」として活動してきた

• 地元の戦力だけでは限界があり、「外部活力の活用」を進めてきた結果が今の上ノ村

• 今回は、三重県の動きも受け、企業との連携によるブレイクスルーを狙う段階に来ている

• その中で、「四季のさと」の“地元としての有効活用”が自然と浮かび上がってきた



つまり、この構想は単なる思いつきではなく、かといって当初から持っていた企画でもない。

その時々の時流や成り行きの中で、もがきながら進めてきたことの延長線上にある、ある意味「当然の到達点」だと感じています。


■ 野望(さらなる想い)


この事業を「ウォーキン『四季のさと』でジャイアントステップ」(仮称)と呼んでいます。

もし事業名として採択されなくても、コードネームとして使うつもりです。


• 「ウォーキン『四季のさと』」

 → 四季のさとを歩き、楽しみ、関係人口の入口にするという意味

• 「ジャイアントステップ」

 → この事業をきっかけに、近鉄沿線各駅で地域活動との連携が深まり、

  それぞれの地域に独自の楽しみが生まれる未来を目指す想い



近鉄と県が関わるからこそ、これくらいの“夢”があっても良いと思っています。


※ちなみに、「ウォーキン」はマイルス・デイビス、「ジャイアントステップ」はジョン・コルトレーンの名盤です。

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