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「​上ノ村」ってこんなところです

ありふれた小さな中山間集落.jpg

 「どこにも資源がある」「宝探しをしよう」というのが地域おこしの研修会で講師がしたり顔でいうことだ。中にいると気が付かないだけで、都会(外部)の者がみると魅力がいっぱい
ある、というわけだ。


 嘘ではないけどそのまま真に受けるのもどうかと思っている。そもそも、ここで言う資源(「地域資源」)をどう捉えるかで、話はまったく違ってくる。


(1) 都会にはない田舎らしさ、ということであれば、田舎なんだからまちがいなくその種の資源は溢れている。四国の山奥で成功した葉っぱビジネスみたいなものなら、どこの中山間地でもできるだろう、と言えばその通りだ。


(2) 他の田舎と差別化する特別な資源となれば、そうそう簡単にあるわけではない。それらしきものを見つけて、もっともらしく仕立て上げることも含めれば、何か材料は見つかるかもし
れない。商売なんてものは、程度の差こそあれ相手を騙す(その気にさせる)ことに他ならないということであれば、それなりにできることは見つかるに違いない。

​(著作 P007)

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 上ノ村はかつて参宮表街道とも呼ばれた初瀬街道(はせかいどう)が通り抜けている。伊勢神宮の遷宮の前の年の大晦日に、三重県内の街道のすべての常夜灯に火を灯し、NHKの年越し番組「ゆく年くる年」で取り上げてもらう、そして宇宙ステーションからその明かりが伊勢神宮につながっているのを捉えてもらうという企画を提案したことがある。興味を示してくれる人は居たが、結局、自分が主導しないと何も動かないことがわかっただけだった。当時は各種の案件を抱えていたので、とてもそんな時間的余裕がなく諦めてしまった。当時は、こうい
う企画をたとえば県に提案するにはどこに話を持ち込むのがもっとも効果的かすら、よくわからなかった。


 この企画は遷宮というのがひとつのミソだが、隣の集落同士がひとつの目的で連綿とつながることがもうひとつのミソだ。点灯は小学生にしてもらう。それを中学生がサポートし、それ
をまた高校生が助け、大人が見守るという具合に年齢を越えて人がつながる。もちろん、点灯の時刻は新年を迎える瞬間だ。􀘙資源を見つけて活かす。これもそのひとつだと思うのだがどうだろうか。。

​(著作 P006)

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 成願寺は、天台真盛宗の中本山だ。100少しの檀家で守っていくには立派すぎる寺だ。写真はもう10年ほど前のものなので桜が多いが、今は木も傷んでこの頃の面影はない。それでも桜の季節になると、前のご住職が入院されたときに、桜をテーマに寺の様子を写真に収めて見舞いに伺ったら、涙を流さんばかりに喜んでくださったのを感慨深く思い出す。

 

 青山高原は、阪神地区では関西の軽井沢とも呼ばれるらしい。ゴルフ場開発に来た業者が、「青山」というと会員権の売れ方が違うと言っていたのが記憶に残っている。「東青山CC」が仮称だった。今では、日本最大規模の風力発電施設で名を馳せている。尾根を走る道からムカデの足のように風車に道
が降りている。風況もさることながら、この構造のおかげで開発費用は大幅に軽減されているはずだ。中部電力関係の企業が適地はすべて押さえている。さすがだ。


 いずれも、立派な地域資源だが、まったく活かせていない。風車群は企業は儲けているだろうが、地元はそれを活用できていない。成願寺も我が菩提寺でありながら、盆踊りをやるくらいで、それ以上には活かせられないでいるのが歯がゆい。

​(著作 P009)

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 観光資源もなくはない。上ノ村地内ではないけれども、榊原温泉は日本三大名泉のひとつである。温泉郷そのものが衰退の一途をたどっているのは寂しい限りである。榊原も最近は地域振興の活動が盛んなようだ。昔から峠を越えて親交が深かった榊原だけに、タイアップして何かできることがあるかもしれない。そういう意味では、そういう仲介にも、県や市はもっともっと力を入れても良いのではなかろうか。


 近鉄「四季の郷」は、もともと「あやめ池遊園地」が飽和状態になるのを見越して近鉄が新たな遊園地の候補地として整備したものだ。その後デズニーランドの成功に時代の移り変わりを感じ、志摩スペイン村開発にシフトしたため、四季の郷は本
格的な開発にいたらないまま、自然の公園の様相のままである。近鉄と地元が協力すれば、十分おもしろい企画ができるはずだ。それだけの資源であるのはまちがいない。

 

 白山比咩神社(はくさんひめじんじゃ)は、白山町に伝わる白鷺伝説にまつわる白山比咩神社七社のひとつとして、お詣りすると加賀白山にお詣りするのと同じご利益があるされている。

​(著作 P010)

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 農産地で地域おこしをしているところは、どこもが「うちの米は美味しい」と言う。必ずと言っていいほど、そう言う。だけど、本当に食べ比べをした者はほとんど居ない。その比較を企画にすれば良いのにと言っていたら、確か三重県がやったようにも思う。全国に如何ほどの銘柄があるのかは知らないが、三重県だけでもおそらく100はゆうに下らないだろう。上ノ村の米は美味しい。ホントに美味しい。他所からの村のレストランのお客さんの保証付きだ。上ノ村は、最上流の産地なのだ。


 JAがらみで農産物の直売所「ぬくいの郷」が、それなりに人気のスポットだ。以前は国産大豆の豆腐も製造販売し人気だったが、やはり経営的には合わなかったみたいでやめてしまった。取扱の目的が何かで、頑張りの度合いも変わる。


 地域おこしは根比べの一面がある。本来の目的が叶えられなかったときに、新たなコンセプトで継続を図る発想も大事だと思う。いろんな意義を見出しているかどうかにもよる。自然の資源や文化的歴史的な地域資源は言うに及ばず、人的な資源もやはりやりだしたからには大事にしていき
たいものだ。

​(著作 P011)

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